まっちゃん一家のソウル旅行


2006年8月24日より4日間、ソウルへ行ってきました。
韓流ブームがやや下火になりつつも、我が家では依然衰えぬ韓ドラ視聴の日々。
旅行をしぶる若干1名(受験生の息子)の首に縄をかけ、まっちゃん一家の韓国旅行のはじまり。

1日目(8月24日)

 朝9時半発のKOREAN AIRLINE,KE706便へ乗り遅れるまじと、旅行会社指定集合時刻の7時半を目指し成田へと車を走らせる。
 まだ夜の沈黙に沈む下妻や筑波学園都市を抜け、朝日をうけて予定より少し早めに予約してあった駐車場に到着。送迎車で北ウィング出発ロビーに滑り込むとまだ7時前。人もまばらのロビーで一休みだ。まずは無事第一関門クリア。飛行機に乗り遅れちゃ旅は始まらないものね。

 テロなどでセキュリティーチェックが厳重だど聞いてはいたが、案外あっさりとチェックを通過し、さらに出国手続きも無事終える。定刻にKE706便は仁川(インチョン)空港へ向け離陸した。


 シートベルトサインが消えると速攻食事の配膳が始まった。おいおいまだ10時を少し回ったばかりだぞ。でも朝が早かった為、美味しく間食ならぬ完食。
 シート前の液晶画面で映画やスポーツ、音楽等を放映しているのだが、音声は全部韓国語なのでパス。現在のフライト状況(高度・速度・目的地残距離)とGPSの飛行軌跡をマップで縮尺を変えながら表示するCH、リアルタイムに変化していくので飽きずにこれをずっと見ていた。


 定刻通りに仁川(インチョン)空港へ無事到着。日本語表記のまったく見受けられない入国審査の列に並び、改めて外国へ来たことを実感する。
 待つことしばし、やっと審査の番が回ってきたが、しまった、入国カードに現地滞在先を書くのを忘れてた!
審査官が「今日泊まるホテルは?」と聞いてきた。
それは助詞の使い方がおかしいのではというツッコミを心の中にしまいながらも、ちょっとドキドキしながらホテル名を答えて無事通過。マズイな、後ろに続く家内と子供は大丈夫かなと思いきや、審査官殿が気を利かせてくれて無事ノーチェック。


 最終出口の扉をくぐるといよいよそこは韓国だ。ちょっと格好悪いがツアーのバッジシールを付けて出て行くと、現地ガイドの黄(ファン)さんが元気な声で我々を迎えてくれた。 黄さんは恐らく我々と同世代、やはり大学受験を控えるお子さんのお母さんである。


 今日と明日、一緒に黄さんに世話になる3人連れの日本人家族が既に待っていた。軽く挨拶を交わし共に手配のマイクロバスへと乗り込む。
 車中の黄さんは自己紹介から始まり、あまり流暢とは言えない日本語で今後の我々の行動仔細について猛烈な勢いで話し出す。
 車窓から見る風景は、ハングルを除けば日本の風景と見間違えるほど酷似している。あ、でも左ハンドルだ、あちらの車は現代(ヒュンダイ)製、お、日本車も走っているぞ。・・・といろいろ興味津々なれど、黄さんの話しは一生懸命聞いていないと理解が出来ないところがあったりで、景色も話しも共に上の空。


 同行の3人連れ家族だが、ちょい悪親父っぽいご主人と、ブランドものでこじんまりまとまった母娘。我が家では後に『セレブ親子』と呼んでいたが、このセレブ親子のご主人と黄さんの間で、この後の垢すりサウナの細かい調整で「話しが違う」「そんなことは無い」とちょっぴり揉める。我々は「初めからこれかぃ」と思いきや、なんとか丸く収まった。まぁ黄さんの性格もあるだろうが、自己主張がはっきりしている当世の韓国人の国民性を垣間見たような一幕であった。

 ちなみに黄さんの名誉の為に付け加えるならば、ツーリストの利便性優先というガイドとしての任務は完遂していたと思うし、変に客に迎合する日本人より潔くて良いとも思った。


 さて、空港で両替をすっかり忘れていたことに気付くが(というよりも速攻バスに乗せられたのでそんな時間も無かったというのが実際)、ちょうど黄さんが両替をしてくれるという。レートも銀行より良い(ほんまかいな)ということなので5万円お願いし、40万ウォンを手にする。(1円=8ウォン)
 後で調べたのだが、外国為替市場でのレートは大体1円=8.2ウォンなので、黄さんレートもまずまずである。ちなみに、最終日にウォン不足でホテルで頼むと1円=7.5ウォンとかなり低かった。


 物価は日本とさほど変わらない韓国。ちなみに、コンビニで売られている缶ジュース(コーヒー)1本が1,000ウォン程度、また、一般的な食堂での食事も5,000〜10,000ウォンとこれまた同じ。だから万ウォン紙幣が飛ぶように出ていってしまう。これは早期にデノミを実施して欲しいところである。
※ちなみに我が家の交換レートの場合は、1ウォン=0.125円なので、1,000ウォン=125円になる


 ウォンを財布に膨らませてまずは一安心した我々一行だが、一番最初に連れられていったところは免税店。ブランド物などには一切興味が無い一家なので軽くスルーして集合時間まで周囲の探検へと繰り出した。

 ぱっと見日本と見間違う町並みも、いざ自分の足で歩くとやはり違うものだ。免税店からあぶれてきた我々のような日本人相手の小さな土産物屋の主人が、片言日本語でたちまち海苔やらなにやらを猛烈にセールスしてくる。


 近所のコンビニ(GS25)にて飲みものを買った。ウォンでの初買い物である。
ちなみにソウル市内のコンビニ分布はこのGS25がトップ、ついでセブンイレブン・ファミリーマートと続く。
 日本との最大の違いは店舗面積にある。基本的にどんな狭小な土地にも無理矢理開店しているような感じなので、日本のように一定の什器(冷蔵庫・冷凍庫・陳列棚)にきちっと商品の棚割も統一されているというようなことはあまり無く、とりあえず商品を勝手に並べたという感が否めない。まぁ、一消費者としてさして不便は感じないのだが、最終日に携帯傘を買おうとしたら置いてない店があったりして、これにはいささか戸惑った。


 免税店での買い物タイムが終わり、本来ならばホテルにチェックインする予定なのだが、ここでガイドの黄さんが逡巡する若干の問題があった。

 我々の投宿する永東(ヨンドン)ホテルは江南(カンナム)地域にある。ソウル市内中心部を蛇行するように南北に分断する漢江(ハンガン)の南側に位置し、地下鉄や車でも15分ほど離れている。観光客に人気のホテルは明洞(ミョンドン)や南大門(ナムデモン)へ歩いて繰り出し易い中心部に集中しているのだ。
 ちなみに、相方のセレブ一家はロッテホテルに泊まるのだが、こちらはずばり明洞のど真ん中、場所も格も1流。比べて我が永東ホテルは明洞から遠いし格もちょっと低め。
 いや、格はどうでも良いし、計画当初から地下鉄を使って自力移動するつもりだったので、さほど気にもしていなかったのである。だが、ガイドの黄さん。「遠くのヨンドンホテル行くの時間的に問題あります」を何回も我々に説き、ホテルへのチェックインは明洞散策と夕食の後にということになった。
 セレブ一家を前にして「遠くて不便なヨンドンホテル」を連呼された我々はちょっと恥ずかしくてちょっとムッとする。はいはい、私たちはチープな宿に泊まる平民一家で御座います。
黄さんちょっと気遣いして欲しかったな(笑)


 食事前の時間調整で明洞の街中へ繰り出すが、いやぁーこれはまったく原宿あたりと一緒でしょう。正確には最近の原宿に行ったことが無いので断言出来ないのだけれど、あふれかえる若者と町の喧噪。やはりハングルが無くて韓国語が聞こえてこなかったらここは絶対東京だよなぁと思う。


 セレブ一家のロッテホテルチェックインのお付き合いで30分ほど時間を無駄に費やした後、食事へ案内される。まだ夕方の5時だぞ。機内食も早かったし、今日は完全に食事タイミングがずれている。

 本日の夕食は、韓国ドラマ「悲しき恋歌」の撮影に使われたというお店で骨付きカルビ1.5人前也。肉が駄目な私は家族から供出されたチヂミ(韓国お好み焼き)の皿を重ねる。食堂の賄いおばさんに、「何であんたは食わない?」という熱い視線を受けてしまった。


 食事を終えセレブ一家はサウナへ、我々はホテルへと案内される。

 車は漢江の大きな橋を渡り、やや落ち着いた感じの街並みにある永東ホテルへ到着した。チェックイン手続きを黄さんに終えて貰い彼女と別れフリーになる。
 チープな宿ということで全く不安が無かった訳ではないが、フロントも日本語がOKのようだし設備や清潔さもなかなかで一安心。重い荷物を解き早速市内散策へと飛び出した。


 永東ホテルは地下鉄3号線の新沙(シンサ)駅から徒歩5分のロケーション。
地下鉄の乗り方の練習も兼ねて1駅先の押鴨亭(アックジョン)駅舎に隣接している現代(ヒュンダイ)百貨店を覗きに行くことにする。


 地下鉄の乗り方は事前にガイドブックを読んで有る程度理解していたつもりだったが、切符を買う段でたちまちアタフタしてしまった。
 料金は900ウォンで大体一通りのところに行けるのでそれ自体は問題ないのだが、切符販売の自販機はコインしか使えない。唯一札が使える機械は故障している。窓口で4人分の切符を買うしか無いのである。
流石に地下鉄の切符売りのオジサン(しかも日本人が少ないエリア)に日本語は無理かなと思い「アックジョン」と言い指を4本見せる。最初3枚しか出てこなかったが慌てて追加で指1本。なんとかなるもの。


 地下鉄は乗ってしまえばなんて事は無いのだが、一つだけ日本とまったく違う点がある。 通常行き先を間違えても途中の駅で反対方面に乗り換えればOKと我々は考えるが、ソウルの地下鉄は乗り換えのある駅以外は出口しかないのである。すなわち方面を間違えると一度改札を出てから切符を買い直す羽目になる。乗換駅が近ければそこでまで行って逆方向に乗るという手もあるが、そんなことが解っていれば方面違いに乗ってしまうというタコな事態にならない筈であろう。そんな訳でこれからソウル地下鉄に初めて乗る方は注意されたい。


 現代百貨店は、韓国の大企業である現代グループの経営するデパートであり、押鴨亭にあるのは本店らしい。ちなみに押鴨亭のエリアには現代の高校中学小学校とそれぞりあり、現代一色のエリアである。
 また、駅より東側1Km方面には押鴨亭洞(アックジョンドン)と呼ばれ、高級ブテイックなどが立ち並ぶいわゆる新地エリアがある。


 さて、現代百貨店だが、あまりにも日本の高級百貨店と同じ。期待していたデパ地下も、これまたあまりにも日本と変わらず。たまに見たことの無い食材や、在韓邦人向けの日本製食品が目に付く程度である。


 地下鉄に一駅乗って帰るのもつまらんだろうと言うことで、約1Km程度路上を歩くことにした。
 手元のガイドブックの地図を見ても、路上にある番地表示や行き先表示板が全く読めない。併記されているアルファベットも漢字にいまいち繋がらないので迷いながら進む。読むのも聞くのも駄目。頼りは地図の図面と現実の道路の視覚的比較でしかない。文盲あるいは聾者は、きっとこのような疎外感の中で暮らして居るのだろうという感傷に浸る。


 無事ホテルに到着し、デパートで買ってきたなにやら不思議な高麗人参茶を飲む。うぐぅ、不味いぞ不味すぎるぞ高麗人参茶。まぁ現地の人にとっても結構レアな商材だったのかもしれないが、後で飲んだ他の緑茶系飲料も同じようにあまりおいしくなかったので、どうやらこの辺は日本人と好みが違う部分のようである。


 そんなこんなで、長い長い旅の一日は終わった。何が何だか全く解らないTV画面にも飽きて、爆睡モードに突入していく我々であった。

2日目(8月25日)

 朝食は市内某ホテルでアワビ粥ということで、迎えのバスに乗ると既に他のホテルからの先客あり。今日は比較的大人数の行動である。更に別のホテルでもツアー客を回収するが、どうも約束の時間に集合出来ない輩がおり、黄さんの苛立ちがつのりはじめる。結局約30分遅れで朝食にありつくことが出来た。


 朝食後の初めの訪問箇所は南大門市場(ナムデモンシジャン)。
 黄さん曰く、「皆さん集合場所決めます。ここの海苔店です」って誘導されると、速攻で柚子茶の接待、海苔やお菓子の試食。まぁどうせいつかは買うのだからと皆財布の紐がゆるむ。我が家もここでごっそり海苔を仕入れることになった。黄さん、お店からバックマージン貰えるのかな(笑)


 南大門市場は雑貨から食料まで何でも扱っているが、衣料は年配者向け、バッグなどもいわゆるB級品が多い。また、歩いていると「完璧なコピー有るよ!」とか「まぼろしの時計有るよ」などの掛け声も飛び交う。
 ソウルの街中はオリンピックとワールドカップで随分整備されたようだが、ここ南大門市場ではまだ古い時代の趣が色濃く残されている。ちょっと横の路地を覗けばそこにアジュマ(おばさん)が屋台の準備をしていたりする。ソウルは新しいものと古いものの入り交じる街である。



 そして、次に訪れたのは東大門(トンデモン)にあるファッションビル、ミリオレ東大門店。こちらはうってかわって若者向けのテナントがビル内にひしめき合っている。南大門市場の片言日本語の洪水に比べ、こちらは言葉は殆ど通じなく店員も寡黙である。買い物は英語混じりで無いと厳しいが、このビル以外周囲のエリアの雰囲気を見ても明らかに地元ソウルっ子の、しかも若者の為の街であることが見て取れた。


 昼食はビビンバの店に行く。やっとまともな時間の食事だが、昨日からまともに3食食べ続けているので(いつもなら朝昼は僅かしか食べない)、既に胃袋は疲れ気味。
 食事といえば必ずキムチが出てくる。それも必ずお代わり付きで。キムチが無くなってくるとアジュマがすぐやってきて補充してくれるのだ。日本ではキムチは決して安い食品では無いため、大盤振る舞いに感じてしまうこのキムチ攻めにはいたく感動する。こと食事に関してはキムチだけでは無い。例えば何か1品食事を注文したとしよう。すると必ずと言って良いほど、キムチに始まりナムルやちょっとした小皿がまず始めに運ばれてくる。以前出張で名古屋に赴いた際、喫茶店でコーヒーを1杯頼んだだけで突き出しのピーナッツが出てきて驚いたことがあったが、こういうこだわりは消費者にとってはなかなかうれしいものである。きっと韓国人が東京で食事をすると、なんてけちくさいところなんだろうと思うに違いない。


 食後に訪れたのは仁寺洞(インサドン)界隈である。ここは伝統工芸品やアンティーク等を扱う店がひしめいており、いかにも日本人の買い物好きな奥様達の消費欲を刺激しそうな佇まいである。ツアーの限られた時間故、のんびりとは見られなかったが、ガイドブックによると伝統茶の店があるとのこと。ふと目にした看板が「茶室」。ここでお茶の1杯でも飲んでくつろいで行こうと入ったのが運のつき。
 別に身ぐるみはがれたとかそいうことでは無かったのだが、我々のイメージしていた「茶室」とは全く異次元の世界。地下にある店内はほの暗くどこかカビくさい。そしてとっくにリタイヤして昼日なかから暇をもてあましているアボジ(おじさん)達の溜まり場(数人しかいなかったけど)に足を踏み入れてしまった。どう見ても場違いな我々をいぶかしげに見る視線が痛い。
 メニューはあっても値段無し。日本語も通じない。ほうほうのていでアイスコーヒーやら何やらを注文して退散してきたが、値段は良心的だった。看板に日本語が書いてあると誘蛾灯に吸い寄せられるように足を向けてしまう日本人を見越しての商売なのだろう。これもいい想い出じゃんと苦笑いの我が家。


 ここまでで午前+αのツアーは終了だ。午後はフリーなので自力で移動し、腹案の観光に出かける予定である。ところが解散場所のロッテホテルあたりで激しい夕立に見舞われてしまった。後でガイドの黄さんに聞いたところ、どうやらソウルでも珍しい位の豪雨だったそうな。


 初めに予定していたソウルタワー行きは雨雲が落ち着いてからのほうが良いだろうと考え、先に新村(シンチョン)のシンナラレコードを目指す。乗り物は昨日練習済みの地下鉄である。余裕でしょう、と思いきやいきなり逆方向に乗ってしまって初めの駅で改札を出る事に。4人様3,600ウォンの無駄遣い也(爆)


 その後、目を皿のようにしてガイドブックの地下鉄地図を眺め、何回も何回も行き先表示板を確認しながら何とか乗り換えもこなして無事目的地に到着。途中車内で我々が、次は何駅だの、これで合っているだの本当にこっちか?などと声高に話しているのが気になったのだろうか。中年の女性が「お困りでしたらお力になりますが」と流暢な日本語で話しかけてくれた。店の売り子が話す言葉はともかく、好意で話しかけてくれる日本語は正直嬉しかった。新村で降りる時に、もう少し大きな声ではっきりと「カムサハムニダ」(ありがとう)と言えなかったことが少し悔やまれた。


 新村界隈は、ソウルの名門校である延世大や梨花女子大のお膝元である。学生街としての街並みらしく、リーズナブルな店が並び、雰囲気も比較的落ち着いている。
 ここにやってきた理由は、韓ドラ「美しき日々」で撮影に使われたレコード屋{ビクトリーレコード:実際はシンナラレコード}を見るためである。
 ブラウン管で見慣れた、階段を降りて入っていく店構え。ドラマのシーンを彷彿させる店内で韓国の音楽事情の片鱗にちょっぴり触れた気持ちになる。お土産に韓ドラのOST(オリジナルサウンドトラック)を2枚買ったが、CDの値段は15,000ウオン弱。日本円にして2,000円弱なので、こういったものは比較的安価なのである。


 ぐるっと街を一回りして、地下鉄の梨大(イデ)駅手前にあるベーカリーショップのかき氷パフェが目に留まり、ここで一休みしていくことにした。
 新村エリアはガイドブックで紹介されているものの、日本人観光客はその大多数が明洞や南大門周辺で免税品やエステに散財する中、絶対的に訪問者が少ない。この店でも日本語は通じないので、注文がまったく出来ない。店員も揃って困り顔だが、そこはずうずうしく店のガラスに張ってあるパフェの写真を指さして「これこれ」。


 梨大駅近くにたまたま古本屋があったのでこちらもちょっと覗いてみる。
 韓国人の若者が日本語を学びたい理由の上位に、日本の週間漫画誌をいち早く読みたいからというのがあるそうだ。韓国人は基本的に日本人があまり好きでは無いが日本の文化はかなり興味があるという。漫画は日本文化の中でもっとも熱いまなざしで注目されているようである。さっと店内を見渡すと、あるわあるわ日本の漫画。サラリーマン金太郎・シュート・ワンピース、少女漫画はどうだったかな。ぱらぱらめくるとおなじみの絵にびっちりハングルが埋め尽くされている。


 天気のほう依然芳しくないが、とりあえず予定通りソウルタワーに行くために明洞駅を目指す。地下鉄も乗り慣れてきたものだ。
 明洞駅からソウルタワーのある南山公園までは徒歩にして約10分強。事前に調べてあったHPのプリントアウトを持って進んだが、どうも日本人が書いた記事ではなさそうで、右折と左折が全部逆。まぁ大まかな地図を併せ持っていたので問題はなかったが、困った情報源である。
 悪天候故訪れる人もまばらなのと、何故か途中道路工事で全面泥道だったりと段々心細くなってきたが無事案内板が見えてきてほっと一息。結構急な坂道を登ったので息も切れ切れである。ケーブルカー乗り場に着くと、なんと大きな車道があってソウルっ子は皆さん車で上がってきている様子。あんな急坂を歩いてやって来るのは物好きな外人観光客だけのようである。ケーブルカー待ちの韓国人カップルは皆涼しい顔で、我ら4人は滝汗状態。


 ケーブルカーの切符買いも面白かった。
 往復切符が「SightSeeingTicket」(確かこんな感じ)と書いてあったので、
 「SightSeeingTicket Adult Four」なんて言ったら、サクっと日本語で「往復大人4枚ですね」と返された。初めから日本語可って書いて欲しかったなぁと思う。


 ケーブルカーを降りると、去年改装が終わったばかりの真新しいニューソウルタワーの展望台へ。
 天気が良ければソウル市内や漢江を一望出来て絶景なのだろうが、生憎のコンディションでいまいちだ。夕方だったので街の明かりがぽつりぽつりと灯り始めてそれなりに綺麗だった。夜景もまたすばらしいことだろう。是非再び訪れてみたいものである。


 ケーブルカー乗り場まで降りてきて、またあの坂道を戻るのも嫌だと家族が言い出し、タクシーに乗ってしまおうという事になった。
 ソウルのタクシーについて簡単に説明すると、一般のタクシーと模範(モボン)タクシーという2種類がある。一般タクシーは夜間など車が足りない時間になると同一方面の客が相乗りしたりするそうで(料金は変わらないので運転手の丸儲け)、結構外人にとっては不安要因になる。比べて模範タクシーは相乗り無し、日本語や英語はOK。いわゆる外人旅行者向けに利便と安全を図っているものである。実際模範タクシーの運転手になるためには一定の期間無事故無違反であるとか、外国語が出来るとかそいうった基準があるようである。見分け方は模範タクシーが総じて黒塗りの車。グレーや白のタクシーは一般という事になる。値段も一般タクシーの初乗りが1,900ウォンなのに比べて模範タクシーは4,700ウォンと高いが日本に比べればまだ安いと言えよう。
 で、我々が乗ったのは一般タクシー。1台目は運転手が日本語が解らないようで、乗車拒否。そして2台目に無事乗り込み行き先を告げる。「忠武路(チュンムロ)! Subway Chungmuro Station?」。運転手は頷き、親切に韓国語での正しい言い方を教えてくれているようだが、よく聞き取れないのでこちらは生返事。でも好意的な雰囲気の中、無事駅に到着してホッとした。距離が短いとは言え料金はたったの2,100ウォン。4人乗ってこれは超お得!


 さぁ、今晩は自力で食事をとらなければならない。いろいろと迷ったが結局ホテルのある新沙駅界隈で食べることにした。まず1軒覗いてみる。店員が外に出てくるも日本語駄目、メニューもハングルのみで写真無し。これは敵わんとパス。
 次に目に留まったのがチゲの店。メニューが写真付きでこれならなんとかなるだろうと店に入ってみるとやはり日本語が全く通じない。とりあえず写真だけで判断して注文しちゃおうと思ったら、唯一日本語が話せる店員が奥から出てきてくれて大助かり。
 観光客向けでない店で、日本では殆ど食べることの出来ないチゲ鍋に舌鼓を打ち、すっかり満足する我々であった。ちなみにお値段も一人5,000ウォンと超格安。


 すっかりソウルっ子になった気分でホテルに戻る。相変わらず何が何だが解らないTVを子守歌替わりにして2日目の夜も爆睡モードへ。


番外写真

韓国は赤がよく似合う

ハングルの洪水

日式(日本)料理



3日目(8月26日)

 今日は終日フリーなのだが、事前に申し込んでおいたオプションツアー「チャングムの舞台を訪ねる」に参加する。
 迎えのバスに乗り込むと、我々の他にもう一家族、ガイドは今日は黄さんではなく、ちょっと年配でおっとりしたチョンさん(漢字は不明)の計10名である。


 この同行の家族。夫婦と娘3人だが、母親と子供達が嘘のように顔が似ており、まるでパソコンでコピー&ペーストしたように実に見事。写真を撮ると言えば皆でキャピキャピしていて仲のよいこと。ちなみにお母さんはガチャピンにどことなく似ていたのはご愛敬。娘さん達の容姿もガチャピンへの道を歩むのだろうかと不謹慎な空想を禁じ得なかった。


 一行を乗せたマイクロバスはソウルより一路、水原(スウォン)を目指し高速を走る。
 韓国の道路は一般道路も高速並にとてつもなく広い。幹線道は基本的に片側4車線だ。進路変更は結構気合いを入れないと出来ないだろう。クラクションが鳴るのは茶飯事で、お行儀よく遠慮して走っていたら永遠に同じ車線を走り続けることになるかもしれない。日本人から見るとよく事故を起こさないものだと思うが、彼らは彼らなりのリズムとルールの中で譲り合っているようにも感じられる。
 街の中では、バイクは歩道を平気で走っているし、車がバックしてきても歩行者が立ち止まる方がかえって間合い的に危なかったりもする。何故なら、下手に立ち止まるよりも、そのままさっさと通り過ぎたほうが運転手にとってもありがたいようで、良い意味で合理的、悪く言えば「だろう」主義でいい加減。でも市内では事故処理なども全く見かけなかったから不思議である。


 程なく京畿道は水原(スウォン)にある華城(ファソン)に到着。この後、華城よりさらに30分程離れた韓国民族村へ、また午後はソウル北西部の楊州にあるMBCチャングムテーマパークへと、チャングムのロケ地巡りが続くが、何故か思い起こせば収録のセットが列挙されているだけといった感想しか沸いてこない。思うに旅の本質は、やはりプロセスを抜きにして語る事は出来ないのである。お膳立てされた状況で与えられるものを見聞きするのではないということだ。このチャングムツアーは、移動中の車内でチャングムのダイジェスト版DVD2巻を見尽くし、どこに行ってもチャング三昧。商品としてはよく出来たツアーで非のうちどころは無いが、こういう商品をチョイスした我々が見当違いだったようだ。


 韓国民族村からチャングムテーマパークへの移動の中間としてソウル市内に戻り豪華韓定食の昼食。なかなか品の良い前菜や彩りの鮮やかな料理が運ばれる。流石にメインのビビンバが2日連チャンだったのはきつかったがそれでも珍しい食事に満足。


 朝の8時過ぎから夕方まで1日中チャングム三昧のツアー、今度もし韓国を訪れる機会があったら是非公共交通機関を利用してじっくりと見たい所を巡ってみたいものだ。ちなみに華城は世界文化遺産に指定されており、本来は駆け足で巡る場所ではなかった筈である。


 ツアーを終え、ホテルまで送って貰ってもよかったのだが、好奇心旺盛な我々は明洞でバスを降りガイドのチョンさんともここで別れる。
 今日は明洞で食事をすることにして店を物色する。ホテルのある新沙とは大違いで殆どの店に日本語が溢れかえっている。これなら日本人はどこに入っても安心しだろう。
 適当に店を決めて、息子は参鶏湯(サムゲタン)、家内と娘はチヂミ、私は冷麺を注文した。
 出された冷麺を食べようとしたらアジュマがやってきてハサミで麺をチョキチョキしてくれたが、初めから切って出せばよいものをと余計な感想。味はまぁまぁかな。
{キムチも皿に盛ったものをチョキチョキしてくれたことがあった。一種のパフォーマンス}


 食後は軽く明洞散策をしたが、夜もまた一層賑やかである。我が家の子供達も買い物意欲に火が付いたよう、で暫く足止めを食らい滞在する。流石に我ら夫婦あたりの年代だと若者向けの店は用無しである。金曜の夜だからなのだろうか、よくぞこれだけ若者が沸いてくるものよ、とただただ呆れる。


 帰りはさすがに疲れてきたので、地下鉄を使わずタクシーで一気に戻ることにした。幸い模範タクシーを拾うことが出来た。安心してホテルへ到着。


番外写真

唐辛子



4日目(8月27日)

 最終日も空には重く雨雲が垂れ込めている。あまり天気に恵まれなかった旅行だが、日頃の行い故か。
 午後2時過ぎにホテルへ迎えが来る段取りになっているので、それまで最後のソウル散歩に出かけるべし。


 事前に特に予定もしていなかったので、昨晩思いつきで練ったプランで景福宮(キョンボック)を目指す。
 景福宮は李王朝時代の王宮を復元した建造物群である。豊臣秀吉の朝鮮出兵で消失。その後再建されるも日韓併合の際、総督府建設の為に破壊と移設されたという。
 ガイドの黄さんによれば、韓国人にとっては深い思い入れのある場所らしい。もし日本が第三国に侵略されることがあれば、やはり皇居などに深い愛着を持ったのだろうか。


 最寄り駅はずばり地下鉄の景福宮駅だが、最近改築を終えたばかりのようで、出口までピカピカの御影石のような壁が続く荘厳な雰囲気がある。ウィークデーは近辺がオフィス街ということもありサラリーマンやOLの姿で賑わうそうである。だが今日は日曜日。全くといって良いほど人陰が無い。
 実は朝飯は適当に景福宮周辺の店で済まそうと思い飛び出してきたのだが、駅から地上に出ると景福宮の光化門がドーーンとそびえ立つ以外何も無し。周囲はでかい道路とビルしかなく食べ物の気配など全く無し。おまけに雨足も強くなってきた
 景福宮は屋外の楼閣見学がメインなので、さすがにこの雨ではいかんともしがたい故泣く泣くプラン変更。近くの仁寺洞にタクシーを捕まえて移動することにした。


 こんなところでタクシーなぞ捕まるのかと思っていると運良く一般タクシーが一台止まってくれた。そそくさと乗り込み仁寺洞行きを告げる。
 程なく到着するが、仁寺洞のメイン通りは日曜は車両進入禁止らしい。
 運転手さん曰く、「お客様。日曜は車が中まで入れませんのでこちらでお降り下さい」
 いやぁ見事な日本語!あなた模範タクシーOKですよ。って言ってあげたかった(笑)


 仁寺洞は2日目にもツアーで訪れているが、時間が限られていたのと、例の「茶室事件」でちょっと失敗しちゃったかな?という反省から今一度じっくり覗いてみよう。おっと、その前に腹ごしらえ。朝飯がまだだった。


 どっぷりと韓国に浸かった朝飯を志向するのもよいが、店を探す手間も面倒だしままよと手近なベーカリーショップに飛び込み、焼きたてのパンとドリンクを注文。品名に英語が併記されているので注文は楽勝だ。
 焼きたてのパンの味は・・・これは比較してもしょうがない程普通に美味しかった。


 仁寺洞は既に地理も把握しているし、道行く人の日本人比率が極端に高く安全な通りである。めいめい別れて時間を決めて集合することにした。
 幾つか店を渡り歩いたが、あまりアンティークや小物などに興味の無い私にとってはすぐに飽きてしまう町並みでもある。しかし、やはり1本通りをはずすとそこは古いソウルの息づかいが色濃く感じられる。また、近くにタプコル公園(旧称パゴダ公園){日本の植民地支配からの独立運動の発祥地}があるが、ここはさすがに遠くからみてもちょっと違う雰囲気を感じた。事前に読んだガイドブックにも避けるべき場所に指定されていた故、近づくのは敬遠した。

 それでもせっかく来たのだからと、充分注意しながら仁寺洞のメイン通りを1本はずして歩いてみることにした。豚脂のむせ返るような匂いが鼻をつく店先で、主人が食事をしている風景。いったいいつ客が訪れたのか見当もつかないような寂れた楽器屋が忽然と現れるなど、観光客から見えない(見ない)町並みを僅かな時間ではあったが経験することが出来た。


 さぁ、時間もいよいよ残り少なくなってきた。最後のタクシーを捕まえて明洞で昼飯だ。


 運転手さん、やたら明るい人で日本語全然駄目でもよく喋る。こっちも韓国語わからなくてもお互い身振り手振りでけんけんがくがく。コミュニケーションとはこういったものなのだと再認識。
降車時の別れの挨拶はよーーく解りました。(お互いにね)


 今回ソウルでやり残したことが一つだけある。
 屋台での食事、とりわけトッポキは是非食べたいと思っていた。
 ソウルの屋台はいたるところにある。よくぞこんな街中にもといったところにも約束したように店が並んでいる。日本で屋台といえば、中年オヤジが一杯ひっかけるところと相場が決まっているが、韓国の屋台は事情が違う。どちらかと言えば若い女性がお得意さんなのである。
 ホテルのある新沙駅界隈はあまり人通りが多くないが、こんなところの屋台でもうら若い女性が一人で屋台に張り付き食事をしている光景はなかなか新鮮である。
 特にオデン(おでん)などはスープが飲み放題のようで、客が自ら自らオタマですくい上げいるシーンも目撃したが、キムチの件もしかり、こういった事柄はこの国の流儀なのであろう。


 で、明洞のトッポキ。キムパブという韓国海苔巻き(タクアン巻き)も一緒に求めて4,000ウォン。決して安くは無いのだが、屋台は街中で速攻食事が出来る利便性が支持されているのだろう。
 トッポキの味だが、棒状の餅を海老チリのような辛いタレで絡めたもの。美味しいが、どちらかというと酒のつまみかなという感じの味。韓国では女子学生に人気だそうだ。
子供達は念願の韓国マックで、本場のカルビバーガーで腹を満たしたようである。


 我々のソウル漫遊もそろそろ終わりに近づいてきた。
 喧噪あふれる明洞の街で最後にもう1軒粥の専門店に入ったが、これがたいそう親日的なお店。旅の最後に華を添えてくれたこのお店を切り盛りする夫婦と、かいがいしく店を手伝う娘さんに感謝。


 たった4日間の滞在だったが、随分乗り慣れた気がする地下鉄の乗り収めをしてホテルへ到着。約束の時間まであと15分。黄さんに「時間遅くなると飛行機乗るの問題あります」って言われちゃうかなと内心ハラハラしてたけどどうやらセーフ。程なく元気に現れた黄さんと共に永東ホテルを後にする。


 空港までの車中、相変わらずおしゃべりな黄さんとソウルの住宅事情などについて話をした。やはり我々が観光で見たソウルと、黄さんのような平均的なソウル市民の生活の舞台とは随分開きがあるようだ。そういった生身のソウルも機会があったらをじっくり見てみたいと強く思った。


 空港で黄さんに手続きをして貰うといよいよ彼女ともお別れである。
 終始せわしなく、時には頑なに、私たちは韓国人の国民性の片鱗を貴女に見いだしたのかもしれない。しかし思い起こせばタクシーの運転手も、地下鉄で声をかけてくれた人も、そして黄さんもみんな親切で陽気な韓国人。
竹島問題、靖国問題。いろいろ有るけれど、腹を割れば必ず分かり合えると思う。


 仁川(インチョン)国際空港はソウルの西約50Kmに位置し、埋め立て地に作られた24時間空港である。近代的かつ壮大な施設は、韓国内から見学ツアーが組まれるほどであり、空港内はまばゆいばかりの照明で近代化を誇示しているようにも映った。


 いよいよ搭乗が始まった。
 たくさんの想い出をくれた韓国よ、さようなら。いつの日にかまた地下鉄に乗りにくるぞ!