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PC6001mk2

PC6001MK2 PC6031 TRS80

PCPR401
PC9801が16ビットコンピュータとしてビジネスユーズを標榜されていた頃のいわゆるホームユースマシンである。CPUはμPD780(8ビットZ80互換)を使用し、N60m-BASICモードでは、メモリ64KBのうち半分の32KBをROM-BASICとして利用するも、ユーザーエリアやグラフィック領域としてもバンク使用していた。
この方式は8ビットCPUが64KBまでしかアドレッシング出来なかったので当時は定番であったが、バンク処理の時間が必要な為、処理速度はお世辞にも速くはなかった。
実はこの先代のPC6001(別名パピコン、キートップがオレンジ色の長方形という、ほとんどおもちゃのノリのマシン)を当初所有していたが、こういったものが高値で売れる時代で、僅かな差額でPC6001mk2に乗り換えた経緯がある。

周辺機器は、今では特殊な用途でしか存在しないプロッタプリンタや、NEC純正のサーマルプリンタ、そしてなんといってっも脅威的なのは、片面倍密で約140KBのフロッピーディスクドライブである。
ドライブが約8万円、媒体が1枚700円(1箱7000円)という今からではとても想像も出来ないような価格であった。それでも、当時唯一のデータ保存手段であったカセットに比べれば、はるかに大量のデータを手軽にかつ高速に扱える夢のような機器だったのである。その後3.5インチフロッピーを内蔵したPC6601という機種も発売された。

PC6001mk2にはその頃の一般的なBASICには無かったTALKコマンドというのがあった。TALK"aiueo"とやると「アイウエオ」と音が出る。しゃべるパソコンなんていう感じのキャッチフレーズで宣伝されていたものである。最近のマルチメディアマシンからすれば笑ってしまうような機能だが、当時としては結構魅力的なギミックであった。

同時期のMSXなどの廉価パソコンには無かった漢字フォントが、PC6001mk2には搭載されていたが、当然画面表示のみであった。
フォントデータをROMから読み出して、プリンタに直接グラフィックデータとして送出するアセンブラプログラムサブルーチンを作り、BASICから漢字印刷を実現したりして楽しんでいた。
当時、PC9801では実用のワープロソフトも販売されてはいたが、高価であり、PC6000クラスのマシンで動くソフトは無かったと思う、今思えば自作プチワープロだったのだろう。

アセンブラといっても、いわゆるハンドアセンブルで、コーデイング用紙に書いたプログラムを1命令づつコード表を見ながら変換していき、1バイトづつ入力するという前時代的な手法であった。苦労したせいかつまらない機能でもちゃんと動いた時は本当にうれしかったものである。最近のようにGUIで画面設計し、統合環境でソースを書き、デバッグやインストールPGまで作れてしまうのとは隔世の感がある。

PC8801mk2

PC8801MK2
友人が不要だというので引き取ってはみたものの、コレクションの中では殆ど使っていない。

CPUはμPD780C-1(4MHz)で、メモリは8ビットCPUであるがために64KBの搭載となり、PC6001mk2同様32KBのBASICをバンク使用する。FPDドライブは両面倍密の約256KBを2基内蔵している。

何本かBASICプログラムを作ってはみたものの、今はダンボール箱の中で眠っている。

NEC PC9801DX

PC8801mk2のあとしばらくパソコンとは遠ざかっていたが、PC9801DXとの出会いはMS-DOSやパソコン通信との出会いでもあった。

CPUは16ビットの80286(12MHz)に標準で640KBのメモリ搭載であった。メモリを拡張する手段としてハードウェアEMSボードが一般的であったが、4MBのボードを装着し、MS-DOSからディスクキャッシュやラムディスクとして快適に利用した。

また、この頃ワープロソフトと言えば一太郎が現在のWordに匹敵するような地位を築いていたが、一太郎のVer4はEMSの実装を強く推奨しており、事実快適に動かすためには欠かせなかった。このようなことから、当時のパソコン誌などの辛口論調は「よくも悪くもパソコンメモリの需要喚起と普及を促進したのは一太郎である」と評したものである。

また、プラットフォーム(OS)がMS-DOSへ変わった為、プログラミング言語も過去のBASICと決別し、QuickBasicやQuickCを使うようになった。
当時はパソコン=PC98といった図式が成立した時代であった。もちろん独自アーキテクチャの富士通のFM-Rや国際標準のAT互換機、AX機なども存在したが、98でなければパソコンにあらずといった風潮が大勢であった。草の根BBS(パソコン通信)などに自作のつまらないプログラムをアップロードしたのもこの頃である。

現在このマシンは私の手元を離れ、今なお余生を現役として過ごしている。

EPSON PC486SR

PC9801DXの頃から32ビットマシン(80386CPU)は存在したが、価格的に一般的ではなかった。
PC486SRはその名の通りCPUに80486を使用しており、98互換機ながらMS-DOS6のもと1.4MBのフロッピーが扱え、標準内蔵のビデオモードで640×480が出力出来た。

重くて使いものにならなかったWindowsがようやくVer3.1で浸透しはじめ、日本語表示を独自のハードに依存するPC98の終焉を予感させられる時期でもあり、PC98がWindowsに体質をあわせるべくDOS/V化を模索していた頃のマシンである。

80486 33MHZというCPUは今でこそ話にもならないスペックであるが、MS-DOSやWindows3.1を使うには結構十分なパワーがあった。

プリンタもこの頃からインクジェットが主流になり、EPSONのMJ400を使っていた。それまでの時代のインパクトプリンタに比べあまりの音の静かさ、印字の奇麗さに感動したものである。もっともMJ400で使用されるインクは耐水性が極めて低く、印字直後の原稿を流水にさらすとあら不思議。字が消えてしまう。いわゆるスパイメモである(笑)

486SRの使用後期にはいよいよWindows95の登場である。
メモリ増設、ODP装着(DX4 100MHZ相当)、HDD増設などを施し、Microsoftのセットアップ基準レベルに満たないものの、Niftyの関連フォーラムで入手した知識やあらゆる試行錯誤の末なんとかインストールに成功。こんな苦労も最近のプリインストールマシンユーザーからすれば笑い話である。

しばらく使ってはみたものの、やはりWin95は荷が重く、家内と子供達のお遊びマシンを勤め上げた後現在は他人の手に渡る。

EPSON PC486NAS

PC486SRと殆ど同スペックのモノクロノートPC。CPUは80486SXの25Mhz。

HDDは内蔵されていないため、200MBを別途購入したが、さすがにWindows3.1がなんとか動くといったところで、実際にはハイスペックDOSマシンとして一太郎Ver4が起動されることが多かった。

486SR同様他人の手に渡る。

富士通 FMV DESKPOWER SE

DPSE5
1996年初頭購入の、DOS/V初体験機である。

Pentium120MHZ 1GB HDDというのは結構実用性のあるスペックであった。もっとも最近では、Win95でWord98+Excell97あたりがこのマシンの限界といったところである。

メモリを64MBに増設しているので、使い方を限定すれば充分使用に耐え、現在も家内と子供のメインマシンである。

※2001年4月現在、ハードディスクが手狭になりPROTON CX-300PGより4GBのSeagateドライブをはずしてSEに装着。バイオスが2GBまでしか保証していなかったが、なんとか苦心の末稼動に成功。経緯は1ページ書けるほどの内容であった。
ついでにWin98をインストールしてみたが、さすがに重い。ディスクが高速化していても根本的にマシンのトータルスペック不足である。

※2001年12月、Amphis Value-1800導入でPROTON CX-300PGが居間マシンとなる。さすがに何をやっても遅く感じるようになりとりあえず退役。使用休止となる。

※2003年4月、LinuxをインストールしようとしたがブータブルCD-ROMでなかった為うまくいかない。CD-ROMドライブを明らかにブータブルなものに交換しても同じである。BIOSでは一応設定出来ているのだが?である。FPDインストールも何故か途中でコケテしまう。で手許のディストリビュージョン(RedHat8.0)では対応していない程古いハードなのか、はたまたDOS/V過渡期の富士通マシンにあったクセなのかは知らないがとにかくインストールを断念。動くうちが華とばかりにオークションで余生へと旅立つ。

富士通 FMV Biblo 5100NU/Y

BIBLO
このノートは職場にパソコンが無かった時期に随分と活躍してくれたマシンである。

スペック的にはDESKPOWER SEとほぼ同程度のPentium100MHZ 800MB HDDである。メモリは48MB実装済み。

唯一の泣きはDSTNディスプレィである。このマシンを購入した頃(1996年)はTFTはまだDSTNに比べて10数万以上も高かったので妥協したのだが、やはり見易さでは雲泥の差があった。現在でHPAという高性能DSTNがあるようだが、TFT機が事実上標準になっていることを思うとつくづく最近の購入者が羨ましく感じられる。
現在、家内の職場マシンとなる。

※2002年4月、CLEVO 2200T導入で、退役する。現在休止中である。

PROTON CX-300PG

CX300PG
Pentium2 300MHZ搭載機。現在のメインマシンである。

内部IDEにHDDとCD-RWを増設(IDEは4口すべてふさがる)、SCSIにはMOドライブと外付けCD-ROMドライブが繋がっている。USBポートには、コンパクトフラッシュとスマートメディアの読み書きが出来るカードリーダも装着済み。個人的には各種デバイスへの対応は完璧である。

メモリも128MBまで増設してあるのでWin95で使うにはまったく不満の無い環境である。
仕事でWindowsファミリーのOSをいろいろ触ることがあるが、パーソナルユースのOSとしてはWin95にこれといった不満も感じることは無いので当分このまま使い続けるであろう。

※2001年1月現在、年賀状のシーズンを越えたのでWin98をインストール。自作プログラムでデータベース絡みのものに不具合発生。データーベースエンジンであるJetのバージョンが原因であった。参照設定を直してコンパイルしなおしてクリア。

※2001年4月現在、DESKPOWER-SEに4GBのハードディスクを譲ってしまったため、Seagateの30GBを購入し装着。いままでが4GBを2本で8GB。これが一挙に34GBだから途方もない容量である。最近音楽CDから抜き出したデータを扱うことが多いので、8GBではいささか手狭感はあったがこれでしばらくは安泰である。しかし、30GBで1万2千円也。良い時代である。

※2001年12月、新マシンにメインの座を譲リ、居間マシンヘ転向。DESKPOWER-SEからは4GBディスクが抜かれて元のベイに復活。再び8GBへ。一方、DESKPOWER-SEは引退。Seagate30GBは新マシンへと受け継がれる。

※2003年1月、突然起動しなくなる。BIOS画面さえ表示されない。電源は入っているのだが、こうなるとお手上げである。グラフィックカードやCPUを別物と差し替えたりしてみたが、埒があかずに断念。ジャンク品にてオークションで売却。

Amphis Value-1800

Amphis
 ショップブランドマシンである。
 i845チップマザーボードにPentium4 1.8GHzを搭載。PC133 256MBメモリ、40GBハードディスクとCD-R24倍、CD-RW10倍、読み込み40倍のCD−RWドライブ、ビデオはGeforceの32MBタイプと夢のような仕様で、OS無しではあるが価格はたったの\89,800。

 買ってきたその日の内に筐体をあけて、PROTONからSeagate30GBのHDD(合計で70GBというディスク御大臣となる)、CD-RWドライブも移設してパワーアップ。

 マシンのトータルスピードはやはり速いの一言。筐体も扱いやすく当面の拡張性にもまったく不安の無い設計である。ここ数年は安泰か。

※2002年7月、Windows2000ProとWindows98SEのデュアルブート構成へ。常用はWindows2000。

※2002年8月、メモリを256MB増設し合計512MB。

NEC PC9801BX

PC98BX21 PC98BX22

 驚くなかれ、ジャンク屋にて本体\1000,HDD(130MB)\500,SCSIカード\500,SCSIケーブル\50という構成である。
ディスプレィとキーボードは以前からの持ち合わせ品を転用。超破格値システムである。

CPUは80486 25MHz、メモリは標準で1.6MB搭載。製品が発表された頃はWin3.1の隆盛期にも関わらず、コンセプトが高機能DOSマシン、ちょっとお金と根性を足してWin3.1マシンといった設計である。今回は素直にDOSでの使用とする。

手持ちの4MB EMSボードをセットし内蔵の1MBプロテクトメモリとあわせて5MBで使いたかったが、何故か1MB超のところを使うようなファンクションをメモリマネジャが使用すると、アクセススピードの差ゆえなのだろうかハングしてしまう。
あきらめて内蔵1MBを殺して純粋なハードウェアEMSとして利用するが、それでもDOSではなかなか快適である。

昔を(といっても10年もたっていない)懐かしみながらCONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATの設定にいそしみ、おもむろに一太郎4.3を起動する。昔のソースプログラムを引っ張り出してQuickCでコンパイルする。もちろんVzも昔の設定そのままで健在である。おもわず国民機PC98の時代に舞い戻ったような錯覚に陥る。


それにしても、先日ジャンク屋で98のCバス用グラフィックアクセラレータやら230MBハードディスクを見かけた。これで32ビット対応のメモリがどこかで見つかったら速攻で無理やりWin95をインストールするのだが・・・
「まともに動くわけ無い!」だって?そんなこと先刻承知。こういったきわものはインストールが終わった時点で目標達成である(^。^)

CLEVO 2200T

CLEVO 2200T
ショプブランドのノートマシン。Celeron1.0GHz、256MBメモリ、20GBHDDと、家内のWORD専用機としては充分なスペック。OSレスなので殆ど10万きっかり程度(2002年3月)で購入できた。
使ってみてこれといった不満も無いが、唯一あげるとすれば冷却ファンの音が少し大きいような気がする。
現在Windows2000ProとMS-WORDが快調に稼動している。

富士通 FMV 6500CL4C

FMV 6500CL4C
2003年1月、PROTON CX-300PGの突然のリタイヤにて急遽オークションにて購入。Celeron500Mhzにメモリ128MB、10GBのHDD、LANポート内蔵。外見はまったく一緒のパーソナル機があるがこちらは型番を調べたところ完全なビジネスモデルである。Windows2000をインストールするのに富士通のサイトにドライバを探しにいったが見つからず、ビジネス機のカテゴリでやっと見つけた時は少し冷や汗ものだった。見た目も型番も酷似していながら異なったラインナップとサポートがあるというのは消費者として少し憤慨するところがある。もっとも仕事柄、富士通の場合はそういったことがえてして有り得ると予見できていたのでよかったのだが。

現在メモリを384MBまで増設して使っている。インターネットブラウズマシンとしてはまったく不満の無いスペックである。コンパクト筐体なので置き場所的にもなかなかよい。前面にシャッターで遮蔽出来るUSBポートが一つ(背面は×2)配備されているが、このシャッター付きというのは埃対策で気が利いていて良い。スピーカーとマイク端子が前面に配置されているのは最近のコンパクト機では一般的だが、ごくたまにしか使わないと判っていても、コードが絡んだ筐体を動かさずに使える前面配置は歓迎できる。また、サウンドのボリューム(物理的な)もついているがこれはちょっと不要だったかも。
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