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2009年11月 アーカイブ


2009年11月28日

岳ノ山と大鳥屋山


-- 『GPSMAP60CSx US版』+『カシミール3D』+『国土地理院地図閲覧サービスデータ』にて作成 --

 ガイドブックを眺めていて、自分としては何となく影の薄い岳ノ山大鳥屋山。H君の復帰二弾に選んだのだったが、いざ歩いてみると意外や手強いルートに「これはミスチョイスかな」と思いながらも、なかなか面白い展開に。

 互いの住まいの関係で、県北はH君、県南は私と車当番が決まっている。今回は久々のパジェロミニのタンデムドライブである。天気は文句なしの快晴。ここのところ調子が良いのでいよいよ悪天候コンビも返上か。

 葛生から秋山に向かって車を走らせ、「五丈の滝」の案内板の所を入っていくとすぐ駐車地へ着いた。市で設置したというトイレ併設の駐車場(5~6台可)だ。どうやら五丈の滝を観光資源と捉えているようで、滝展望台までは遊歩道として整備が行き届いていた。

 落ち葉が降り積もる舗装林道もやがて砂利道になり、突き当たった所に五丈の滝案内図がある。ここからは登山道である。

 よく整備された道を登って行き、寄り道するように一旦谷に降りた所に滝展望台がある。ベンチなどもあしらえてあるが、これらは長い間観光客に使われた感じがしない。展望台から写真を撮った(下写真中)が悲しいかなカメラ写りがしょぼい。実際は奥の方から手前へ文字通り五丈になっていてなかなか素晴らしい風景である。

 登山道へ戻り、更に進むと滝見の松あり。現在は無惨にも枯れ果て往時の立派な姿の見るべくも無い。

     
林道終点から五丈の滝を目指す    五丈の滝    滝見の松は無惨に枯れ果てている

 滝見の松を過ぎると、それまで整備されていた登山道はにわかに植林地内の作業道となるが、そこそこに手入れもされておりあまり暗い雰囲気が無い。

 途中炭焼き釜の跡があったが中を覗くと何やら人間の残した食べ物の容器がある。動物が持ち込んでいるようだが、少し悲しい気持ちになった。

 沢の水流が途切れ枯れ沢に添って登る頃になると途端に踏み跡が不明瞭になる。事前の資料でも谷詰めは間違い無い。GPSにも予定線を引いてあるので時折方角を確認しながら枯葉に覆われた踏跡を辿っていく。途中の赤テープが実に頼もしい。

 山頂の南側は岩が露出しており、層状に重なる珍しい岩が見える。複雑な地殻の動きがあったのだろうか。

     
植林地を登る    炭焼き窯跡らしい    層状の岩が珍しい

 岳ノ山の肩尾根直下はかなり急登だが、ジグザグが明瞭。最後にトラバースするあたりで再び踏跡が薄くなる。もっともここまで来れば枝越しに稜線が見えているので心配は無い。

 尾根に出るとテプラで作った道標があった。梢越しに北側の山並みが見えて尾根に辿り着いたことを実感する。

 少し登るとそろばんが奉られた祠があった。何か由縁があるのだろう。

     
踏み跡も密かに    尾根に出た    そろばんが奉られている

 程なく岳の山の山頂へ到着。眺望は北側が枝越しに僅かだが、日溜まりの小広いスペースはなかなか心地よい。

     
岳ノ山頂上    男体山が見える   

 小休止で再出発。

 「そちらではないですよ」と先に休憩していた単独の男性に声を掛けられた。
よく考えもしないで、広い緩い尾根につい足が吸い寄せられる悪い癖がまだ抜けていないようである。あやうく山頂から西に延びる尾根に向かうところであった。

 コンパスを出すと、成る程針路は真南である。はて南に道はと見るとジェットコースターのような下りがあるではないか。

 いや、これは大変だなとH君と顔を見合わせながら落ち葉で滑る足元に注意をしながら降りていく。段々岩も多くなってきて細いロープも何本か垂れている。痩せピークを越えるとまたガクンと落ち込む。

 岩に突き当たると、行く手は蟻地獄のようなすり鉢状の谷が口を開けていた。先ほどからGPSで方角はしっかり捕捉しているがこれでは先に進めないじゃないか。おいおいマジかよと思って岩の切れ目を這い上がるとその先にまた厳しい下りが続いている。

     
痩せ尾根続く    強烈な下り    足元注意!

 緊張を強いられた下りもやっと緩くなり一安心だ。振り返ると岳ノ山が枝越しに見える。約100mの急降下であった。

 624Pへの登り返し、そして大鳥屋山直前の100m以上の登り返しには結構汗を掻く。途中、多少広く不明瞭な箇所もあるが針路は明確にして単純。624P付近から下の標高域は植林地になっているようだ。

 コツコツと最後の登りをこなすと東西に長い山頂へ到着した。先ほど岳ノ山で道を教えてくれた男性が腰を降ろして静かに食事中である。広い山頂に景色は全く無い。樹に囲まれて薄暗い中に一等三角点の太い標柱が存在感を誇示している。

     
降りてきた岳ノ山    大鳥屋山へ向かう尾根    大鳥屋山一等三角点

 山頂の少し西側に小日向方面の集落がうっすらと見える日溜まりで食事とした。今日は珍しく予定時間より多めに掛かってしまったので流石に腹ペコである。

 H君はあまり食欲が無さそうなので尋ねると、登りがきつかったですとのこと。今日は休憩時にストレッチを励行していたようで脚の付け根の痛みはまだ大丈夫そうだ。下りきるまで痛みが出ないと良いのだが。

 正直、あの強烈な下りにH君を連れてきた事を後悔したが、聞いてみると案外本人も楽しんで降りてきたようだ。よしよし、着々とハイカーとして育ってくれている模様。

 帰路は一旦鞍部に戻り、木にただ白いテープが巻かれただけの分岐を下る。鬱蒼とした植林地の中をトラバース続きで実に無駄のない仕事道を下っていく。湿った空気が顔にまとわりつく。吐く息が白い。温度が低いのだろうか。やがて沢音が聞こえ、空から光が届くようになってきた。林道はもうすぐそこである。

  
日溜まりで昼食    分岐から下山

概略コースタイム
駐車場発(9:48)-林道終点(10:00)-滝展望台(10:13)-岳ノ山肩尾根(11:18)-岳ノ山頂上(11:25)-
624P(12:14)-大鳥屋山頂上(12:52)-昼食地着(12:55)-昼食休憩-再出発(13:35)-
下山分岐(13:49)-林道出会(14:15)-駐車場着(14:34)

2009年11月19日

インフルエンザとの戦い

 ここ5年以上、風邪をひいても寝込むなんて事はまったく無かった。毎年新型のインフルエンザが巷で騒がれていてもどこか自分には無縁と思い続けていたが、それは突然やってきた。

 

序章.11月13日(金)


 木曜日の昼過ぎ頃から何となく喉がいがらっぽい。痰が切れにくい。体質的に風邪は喉から来るパターンが多いので直感的に「ひいたな」と気付く。

 昼食後に軽い咳が2つ3つ出たが、この時点では当然今後の進展を知る由もない。帰宅後若干だるさがあったので就寝前に市販の風邪薬を飲む。

 

発病.11月14日(土)

 夜半に異常に気付く。体中がピリピリと針を刺すように痛い。悪寒が走る。時折痛みで目が覚めるも何とか朝を迎えて体温を測ると38.6度ある。以前ならもう少し自力で粘った所だが、インフルエンザの話題に枚挙の暇の無い昨今、家族への感染も憂慮しなければならないし、第一久しぶりの発熱がかなり辛いので我慢する自信も無い。かかりつけの病院に向かった。

 事前に電話で事情を説明していたので、受付から直ちに空室の診察室に通されインフルエンザ簡易検査を受けた。
 待つこと15分、結果は陰性である。

 インフルエンザ簡易検査は、まず両方の鼻孔に綿棒のような細い棒を差し込んで鼻汁を採取し、それをキット付属の液に侵潤させる。液を撹拌して検査板にある穴に滴下(3滴)し15分後に結果が出るといった仕組みである。

 検査にあたった看護士(婦)さんが、今日陰性でも明日再検で出る人が居ると言っていた。

 インフルではないかと訴えた自分であったが、目前で執り行われた公開検査の結果をもってして何の反論の余地も無く、医者から「何が一番辛いですか?」という問いに、「熱があって節々が痛いのが一番・・・」
 結局処方された薬は解熱剤と綜合感冒薬だけであった。

 風邪なんだからこんなものかと思い薬袋を手にして帰宅すると、家内が「そんな筈は無い。それは絶対インフルだ。検査タイミングが早すぎる!」と断罪する。だって午後は休診だし・・・ということで争う気力も無く薬を飲んで床についた。

 

 解熱剤が効いて確かに一旦は下がったが、切れてくるとまた39度に達する勢いの熱で元の木阿弥。日曜一日では快復の見込みは厳しいだろう。それに本当にインフルエンザなら当面出勤停止になる。仕事の段取りも考えておきたいので早めに結論を出したいところだ。
 夕方6時頃、土曜の午後も診察している病院を探して貰い家内の運転する車の助手席で、まるで放り投げられた棒きれのようにぐったりしながら向かう。

 初めて来るこの病院、個人開業医なのに土曜日曜診察OKらしい。ただし土曜午後と日曜は割り増し頂きますと書いてある。大抵は子供だが、患者は自分の前後も皆同じような事情の人達なのだろうか。診療時間終了間際なのに随分繁盛している。小さな病院はまさにインフルエンザ特需とでも言いたくなるような状態だ。

 午前中の他院にての診療投薬について説明し、インフルエンザ検査の再検を申し出る。現在の症状はなおインフルエンザのそれに酷似している点。一回目の検査は発熱から恐らく10時間程度しか経っておらず、今なら発熱後18時間は経過しているので結果が出やすいのではないかと医師へ説明。

 それならばということで、再び検査を受ける。だが結果はまたしても陰性。

 医者もどうしたものかと苦慮している様子。自分が「インフルエンザで無いという事は、前の病院で貰った薬で治すしかないのですね」と問いかけると、カルテを走るミミズの這ったような筆先がピタッと止まって長考している。

 その場に居合わせた看護士達もみな一瞬時間が凍ったような沈黙に陥り、勿論自分も息を止めんばかりの状態で医師の二の句を待つばかり。

 結局、抗生物質と解熱剤、喉はそんなに辛くないと言った筈なのに喉の痛みを和らげる薬等々、かなり大量に処方されて幕切れとなった。

 こうなりゃ何でも飲んで直りゃいいや的なノリで出された薬を精力的に飲み出した。

 家内は依然として結果に懐疑的である。

 

不安な小康状態.11月15日(日)

 抗生物質という高性能アイテムをゲットしたという安心感も手伝ってか徐々に快方に向かっているような気がする。

 夜半に高かった熱も37度前半まで落ちてきて随分体も楽になってきた。夕食の頃にはすっかり平熱まで下がり、「サラリーマンの鑑だなぁ。きっちり土日で直しちゃうなんて」という軽口をたたけるようにまでなった。

 寝る前に風呂を浴びてさっぱりしてから床につくが、なかなか寝付かれない。それもそのはず、この2日間、累計で40時間はひたすら寝ていただろう。寝尽くした感じがあったし、それに寝過ぎて腰が痛いのも手伝って益々眠れない。まぁしょうがないやと諦めて布団の中で悶々としていると、熱は上がっていないのにまた体全体にピリピリとした痛みが走り出して更に眠りを妨げる。

 結局、まんじりともせずに月曜の朝を迎える事になった。

 


新たな予感(悪寒).11月16日(月)

 とても仕事が出来るコンディションでは無い。「サラリーマンの鑑」にはなれず結局仕事は休みとし、横にならずに一日安静を保ってコンディションを調整することにした。

 だが調子の方は一行に上向かない。一番辛かった時の症状全体から発熱を差し引いただけの感じが続く。信じた下山路を辿ってやっと鞍部に着いたものの、繋がる尾根は無し、降りられる谷も無しといったような絶望感が漂う。

 一体全体どうしたものかと意気消沈していた夕方に、再び小刻みなピッチの悪寒の波に襲われた。普通の風邪なら無理して飲み続けることもなかろうと、小康状態になった今朝から薬を抜いていたが、単に薬効が切れできただけのようである。決して直ってはいなかったのだ。

 夜が更けるに従い、うなぎ登りで熱は上がり出す。第二ラウンドは体に掛かる負担もより一層堪えるものだ。

 


ついに陽性に.11月17日(火)

 2時間置きに辛くて目が覚めて給水するというのを繰り返していたが、深夜3時についに体温計が39度突破。もともと熱には弱いほうなので、大袈裟だが脳みそが煮詰まってしまうのではないかというような気持ちにさえなってきた。遂に降参し、初めの病院で貰った解熱剤を飲んだ。暫くすると取りあえずは、うとうとする事が出来るようになったが、これは尋常では無いという事に改めて気付く。

 普通熱が出るときは、初めに悪寒があって発熱。その後は厚着をして布団にくるまって居れば発汗と共に熱が下がってくるというのが大体の決まり手なのだが、過去何度か今回と同じようなパターンで長期的な風邪を引いた経験もあり憂鬱になる。


 朝になってから初日の病院(こちらが本来のかかりつけ)へ行き、土曜の夕方に他院で診て貰った事、今日までの経緯について仔細に説明をした。

 窓口応対の看護士(婦)も診察室の医師も、風邪は症状に波があるのだから1週間くらいは様子を見ないと判らないという説明を訥々とし、あまり治療には積極的でない。まるでクレーマーの処理をされているような気分だ。それでもインフルエンザの可能性は本当に否定しきれるのかという問いに対し、それならばはっきりさせるためにもう一度検査しましょうということになった。

 3回目ともなると受ける方も馴れたものであるが、検査開始後数分で医師が飛んできた。
「患者さん。ここ見てください。Aの所に線が出てますよね。陽性ですね。普通15分後判定ですが間違えありません。いやぁ意外でしたね」と言う。先ほどの看護士もどこか目を泳がせながら「おや、でちゃいましたねぇ」と一言。


 ←検査後に携帯カメラで失敬して撮影


 医師の説明によると、別なタイプの菌の風邪が同時進行していて第二波がインフルエンザだったのだろうという事だ。
 「そんな事ってあるんですか?」との自分の問いに、やはり多少目を泳がせながら小声でえぇと答えたのを見逃さなかった。
 違うタイプの細菌が極短時間に活性状態を交代するというのは素人からみても納得しがたい気がするのだが、何はともあれタミフルを処方される事になって自分としては一安心である。インフルエンザでも無いのに一体いつまで回復せずに仕事を休まなければならないのかという焦燥感、深い薮山に遭難し途方に暮れているいるようなそんな状況にまさに救助の光臨ありといった感じである。


 帰宅後取り急ぎタミフルを服用、暫く経って食事後に同時に出された薬も飲む。驚く事に数時間経つと、それまでの重い呪縛から解放されていくのが実感出来るように体が楽になっていく。まるで満ちていた潮が引いていくような感じだ。よく効くとは聞いていたがここまでとは驚きである。もっと早い段階でインフルエンザ陽性が出ていれば数日間無駄な苦しみを味わう必要もなかったろうにと思った。

 

現在.11月19日(木)

 18日も熱はすっかり上がらなくなり今日も安定している。むやみに寝ていると、夜寝付かれなかったり腰が痛くなったりするので昼間は着替えてTVを見たりしながら過ごしている。また、現在これを書いている最中だ。会社の方は今週一杯出勤停止、そのあと連休があるので仕事に出るのは24日になる。それまでに万全の体調に戻したいところである。

 暇にまかせてネットでいろいろ調べると興味深い話が沢山ある。そこで、今回の自分のインフルエンザ騒動でのポイントを絡めてまとめてみた。

 

 1.簡易検査について

 自分が3回受けた検査はかなり以前から行われている汎用的な方法で、一般的に用いられるようになってからあまり改良がされていない。検出率が50%程度の場合もあるので信憑性が高いとは言えない。患者の個体差も大きく結果を左右するようである。
 さらに、今回自分はA型で陽性となったが、新型かどうかは詳しい検査の出来る病院、ないしは機関に持ち込まなければ判らないという。ただ、統計的に今の時期のA型は新型の可能性が大であるらしい。そして困った事に新型の場合は検査キットに反応しにくいということも明らかになっているらしい。

 2.タミフルについて

 素人なのであくまで聞きかじりだが、タミフルが効く仕組みは細菌細胞の増殖抑制機能である。急速に増殖を繰り返すインフルエンザウィルスの増殖を押さえてしまえば一気に活動が弱くなるということである。本来有益な細菌はどうなってしまうのか、ターゲットを絞って悪性ウィルスだけに本当に効いているのかどうかという点が気になるところだ。

 未成年者への投与で異常行動があるというのは良く知られているが、副作用について検索するといろいろな記事が目に入る。特に小さなお子さんに投与された母親からはやはり神経質な意見が噴出しているが、脳症で死んでいく子供を沢山見てきた現場の医療関係者からは「同じ危険なら副作用を」との提言が多い。

 自分もあれだけ酷かった症状がたった1錠で好転し、数錠飲んだ今はすっかり快方に向かっているのを考えると、初期の段階で投与すべき必須薬であると思う。しかしながら否定派は、かつての国内の薬害渦を顧みた時に本当にタミフルで良いのかという意見も多いようである。

 確かに昔もインフルエンザはあったし、そんな時は1週間かけたとしても風邪に粘り勝ちするしかない、そんな事が当たり前だった時代もあった訳だ。自分などもどちらかと言えばそういった世代の一人であるわけだが、便利で合理的な現代の象徴でもあるかのようなタミフル治療、実際その功罪はいかなるものや。

 症状の重篤化や病気の蔓延を防ぐという意味では確かに素晴らしい。悪夢のような苦しみから素早く解放された自分も、この点ではで異を唱えることは出来ない。
しかしながら、全世界の生産量の8割以上を日本で消費しているという現実を見ると、日本は世界一のタミフル治験場であると言われてもしかたの無い不気味さは否めない。

 ちなみに今日現在の自分の副作用だが、タミフル以外の薬も2種類飲んでいたので断定は出来ないが、ネットで散見されただるさや低体温症がやはり見られる。顔の廻りが若干しびれているいるような気もする。処方は1日2錠で5日分。途中でやめずに必ず飲みきってくれということだが、今現在でまだ半分の5錠が残っている。無用な薬は早く抜きたいところだが、万が一ぶりかえして先日の地獄に舞い戻るのも勘弁願いたい。我慢して飲み続け、かくして治験モルモットとなっていくのか。強烈な効き目だけに出来れば付き合いたくないというのが最も率直な気持ちである。

 3.医療関係者について

 今更という感じだが、ここで指摘しても詮無きこと。
 対象こそ違え、自分も仕事の中で技術的な面で同じような判断(誤診)をすることがあり、今回のように意外な結果で覆されることは経験する。有る程度自信が付くとありがちなことだ。

 こと医療に関しては、症状というのは主観が多分に入るので、科学性を持たせる医療現場としては状況判断に頼らざるを得ない現状も理解できる。だが辛いという患者の声をもってして状況の再検分を試みるべきは医者の務めではないかと思うが、彼らを動かすのにはやはり患者も真剣に訴えなければならないということを強く学んだ。

 病院に行けば治療をして貰えるのでは無く、治療を受ける為に医師を説得しに行く・・・位の気持ちは必要なんでは無いかと。

 昔から「先生と患者」という図式はあまり変わっていないような気がするが、病気も薬も新しいものが乱立する昨今、医者選びや医者との対話から既に病との戦いが始まっているような気がしてならない。

2009年11月08日

小来川蕎麦「ほそで」と大芦渓谷

 新そばと紅葉を楽しみに家内とドライブに出かけた。

 蕎麦は以前から気になっていた小来川の最奥にある「ほそで」という小屋風の店である。少し集落寄りにある山家(やまが)や瀧茶屋は結構有名で、いつ見ても客が絶えない。場所的な事もあるだろうが、かなり奥まった「ほそで」はどちらかというとひっそりとした佇まいもあってあまり目立たない感じがする。だがネットで調べると案外評判が良い。土日のみ営業というのがいかにも農村レストラン然としていて興味深い。百聞は一見にしかず、まずは行ってみようと考えていた。

 場所やメニューはこのリンクからスキャンしたリーフレットをご覧いただきたい。

 小来川の集落を抜け、滝ヶ原峠に向かって走っていく。黒川添いに火戸尻山を回り込むようにして進路が北に変わり、暫く走るとやがてログハウス調の文字通り「山小屋 ほそで」に着く。ぱっとしない天気だが、逆にしっとりした感じが周囲と溶け込んでいるような妙に落ち着きのある佇まいである。

 丁度昼飯時であるが、引き戸を開き中を窺うと閑散とした店内に客は居ない。少し不安にもなったが、囲炉裏に燃える火の匂いも中々に良い。

 いかにも地元の主婦といったおばさんが注文を取りに来た。どことなく素人くささもあるが、むしろ家庭でもてなしをうけるような雰囲気もこの店ならではであろう。

 

 蕎麦セットと名前はモダンだが、ありふれた素材の天ぷらは、蕎麦と食べ合わせるに充分かつ美味。中でも大根の天ぷらは意外な旨さに驚く。

 肝心の蕎麦のほうはどうだろう。実は新蕎麦かどうかというのを聞くのを失念してしまったが、麺はコシがあって香りも香ばしい。自分的には結構高得点だ。そして蕎麦つゆ。これが実に素晴らしい。後を引かないさっぱりとした味わいにまず驚く。それでいてダシの本質は決して損なわれていない。大抵、ダシが勝っていたり塩辛さが勝っていたりするものだが、ここの店の「かえし」と「だし」の微妙なバランスが醸し出す味わいの深さは舌鼓を打つに値する。決してグルメや蕎麦通では無い自分だが、今まで食べた蕎麦の中でこのつゆは恐らくダントツトップの味わいであること間違いなしである。

 2組ほど客が入ってきた頃には、あがりのそば湯も飲み干し「ほそで」を後にする。さぁ、後半は大芦渓谷の紅葉狩りだ。

 滝ヶ原峠へ駆け上り、そこから南へ「河原小屋三の宿線」に入る。どうやらこの辺りは林層もさることながら幾らか時期も逸してしまったようで割と殺伐とした風景が続く。それでも段々と高度が下がってくると時折山腹を綺麗に覆う紅葉を見ることが出来た。

     
ほそで    蕎麦セット大盛    河原小屋三の宿線より

 三ノ宿山の東側を通るこの林道が、やがて日光沢と平行するようになると周囲の樹々が賑やかな色づきで迎えてくれるようになった。そして日光沢が本沢と合流し東大芦川渓谷をなす地点、大滝に達する。いつもなら訪れる人もまばらであろう駐車スペースに沢山車が駐まっていた。

 とはいっても10台にも満たない位だから大したことは無いのだが、行き交う車もまばらだっただけに此処だけぱっと賑やかな雰囲気がする。三々五々、撮影に熱中する人、静かな佇まいを楽しんでいる人。夏に来たときには葉に隠れていた大滝も、落葉の今ははっきりとその姿を見ることが出来る。紅葉は派手さこそないが、渓谷の美しさを感じるには充分なその風景を眺めながらストーブで沸かしたお湯で熱いコーヒーを飲んだ。

 今年はあと何回紅葉を見るのだろうか。齢五十を目前にして、一体生涯にあと何回、いや何十回紅葉を見るのだろうか。妙にセンチメンタルな気分なのは滝の魔力なのか。古から、人知を越えた自然の営みに人々は畏れ癒されていくという。そんなことが少し身近に感じることが出来たそんな一日であった。

     
   大滝   
     
河原に降りる    川中島の橋から   

2009年11月03日

冠雪の弥太郎山を歩く


-- 『GPSMAP60CSx US版』+『カシミール3D』+『国土地理院地図閲覧サービスデータ』にて作成 --

 日光の高山以来一緒に歩いていないH君だが、実は単独で古賀志山「自主練」を敢行し、そろそろ一緒に歩けそうだという事だ。そこで何処か手軽な所はと探していた。歩きやすい所、標高差があまりない所、塩原の若見山弥太郎山が頭に浮かんだ。若見山は一度訪れているので、今回は弥太郎山をチョイス。塩原から大きく蛇行しながら伸びていく塩那スカイラインをアプローチに使うのも前から興味があったので楽しみな山行となりそうだ。

 前日に寒気が流れ込んで大荒れの天気であったが、朝になると平野部は天気が良い。県北のほうは降雪が午前中一杯続くと予報されていたので少し心配だったが、車窓から真っ白に冠雪した日光連山が見えると、本当に雪が降ったのだなと実感。今年は紅葉も冠雪も実に早い。

 国道400号に入り塩原の温泉街を抜けた。此処までは近くの山肌にも明るい陽差しが照りつけ長閑な山行が予感されたが、塩那スカイラインのつづら折れから上を見ると標高の高い部分には幾らか雪雲のようなものが掛かっている。

 塩那スカイラインは絶景ロードで意外や穴場。途中の好眺望ポイントから撮影したのが下の2枚だが、紅葉と冠雪という貴重な画をカメラに収めることができた。

 雪なのかふっかけ(栃木方言で風花のこと)なのか、ちらちらと白いものが舞う土平駐車場に着く。身支度を調え駐車場奥の鉄塔巡視路へ入った。

     
紅葉と冠雪    塩那スカイライン    土平駐車場

 まだ誰も足を踏み入れてないまったくのバージンスノー。針葉樹の葉が雪の中に何層にも閉じこめられているのが美しい。そっと添えられたように顔を覗かせている赤い葉が雪に映える。踏み出すのに躊躇するような大自然の贈り物の中を進んで行った。

 新雪なれど深さはさほどでは無く、靴がすっぽり埋まることはない。それに超とびっきりに整備された巡視路が雪の歩行を助けてくれる。荒れた登山道なら途中で断念しただろうに、歩くのが実に楽しい。

     
新雪を行く      

 ジグザグに付いた道を暫く登ると9号鉄塔に向かう道と巻道とに別れるが、この山は鉄塔が半分は主役のようなものなので、各鉄塔を順番に丁寧に廻っていこう。

 9号鉄塔へ到着すると威風堂々の高原山山塊に圧倒される。北の空は重く、日本海側からの湿った冷たい空気が少しづつ太平洋側に流れ出している様子が見て取れるようだ。今まさにその最先端にいるような感覚。時折強い風が吹くと雪の粒が顔にあたって痛い。そして晴れ渡った東側の平野の風景。実に対比的で面白いものだ。

 9号鉄塔のピークを後にして先ほどの巻道に合流すると暫くは高低差が殆ど無い尾根道となる。正確には尾根を一つ外したトラバース道なのだが、巡視路は流石効率的な無駄の無いコース取りである。

 茂みから飛び出して巡視路を元気よく横切っていった足跡を見つけると、足跡の持ち主を想像するのもまた楽しい。小さい足跡大きい足跡、それからとても大きな足跡・・・? 谷から這い上がってまた脇の斜面に登って行っている。この足の大きさの動物といえば・・・(^^;
 普段中々見ることが出来ない山の住人達の姿を垣間見たような気がする。
 (このあとクマ鈴じゃんじゃん鳴らして、帰路はホイッスルも鳴らしながら下山す)

 途中8号鉄塔への分岐を折れ寄り道だ。

 8号鉄塔からは、先ほどの9号鉄塔が見えるが僅かな時間なのに随分遠くまで歩いてきたのだなと錯覚する。直線にしてしまえば僅か600m程度なのだが。

     
9号鉄塔より高原山    8号鉄塔分岐    8号より9号鉄塔を望む

 8号鉄塔よりは再びジグザグの登りに転じる。初めの登りより幾らか急な感じもするが、いずれにせよコースは良く整備されているので不安感は全く無い。折からの強い風で、表面が磨き込まれた輝く雪面に踏み込む足元が心地良い。

 登り切ると7号鉄塔の元へと辿り着く。鉄塔奥には小ピークがあるが、ちょっと見たところ登路は見あたらない。僅かの距離なので適当に薮を踏みしめ登ってみたが景色はあまり良くない。高原山が枝の向こうに見える。

     
7号鉄塔より山頂    7号鉄塔より8号方面    7号鉄塔奥ピークより高原山

 7号鉄塔下の鞍部からは最後の登りだ。笹藪登りとガイドブックに書いてあった。雪に覆われていてどう登ったらよいものかと一瞬思案するも、笹の丈が低い箇所を選んで進むとどうやら正解のようである。

 三等三角点のある山頂は樹に覆われていて眺望はほとんど無い。南東側に平野部が一部望めるが、それよりも枝に張り付いた雪が樹氷のようで綺麗だ。昨晩は余程風が強かったのだろう。

     
雪の笹原を最後の登り    弥太郎山頂上    東側平野部

 一旦7号鉄塔まで降り、鉄塔の土手脇で北風を避けて昼食とした。どの位の気温なのだろうか。ストーブの火力がなかなか強くならずにお湯が沸くのに随分時間が掛かったが、こんな寒い所で食べるカップラーメンは格別のご馳走である。

 帰りの巡視路は気温も幾ら上がっていたせいか所々地面が顔を覗かせていて穏やかな表情に変わっていた。今日の弥太郎山で我々以外の唯一のハイカーは後続で歩いていた家族連れの3人のみ。我々が食事中に既に下山している。5人分の往復の足跡で雪が剥がれる程の軽い積雪ではあったが、季節外れの美しい弥太郎山を体験できたのもまたこの5人だけであった。

     
帰りの巡視道の様子       ひなたはもう雪が無い

     
塩那スカイラインよりパノラマ      

概略コースタイム
駐車場発(10:22)-9号鉄塔(10:51)-8号鉄塔(11:12)-7号鉄塔(11:45)-
山頂(11:50)-7号鉄塔脇(11:59)-昼食休憩-再出発(12:45)-8号鉄塔脇(13:07)-
登山口寄り9号鉄塔分岐(13:24)-駐車場着(13:42)

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